『鉄の山の報告』

昨年9月25日、安倍晋三が米国の有力保守系シンクタンクであるハドソン研究所から、同研究所の創設者故ハーマン・カーンの名を冠した「ハーマン・カーン賞」を受賞した。ウォールストリートジャーナル紙は、「同賞は、保守的な立場から国家安全保障に貢献した創造的でビジョンを持った指導者に毎年贈られているもので、米国人以外では初めての受賞となる。」と報じた。

ところで、このハドソン研究所は、ニューヨーク州ハドソン市にあり、政治学者のハーマン・カーンが創設したものだが、「戦争」をゲームとして捉え、戦争が与える政治的、経済的影響などに関する研究を行っている。設立は1961年である。このハドソン研究所が設立された頃、米国である本が出版され、そこで書かれていることの真偽について、ひときわ高い反響を呼んだ。この本の内容について、カーンは「われわれはこれとは無関係です。わたしにはバカげたものとしか思えません」と語っている。もう一人著名な人物も登場する。J.Kガルブレイスである。彼はこの本を書いた張本人とも言われたがそれに対し、「世の中には現実とかけはなれすぎているために、コメントのしようがないものがあるから」と意味深な発言をしている。

さて、ちょっともったいぶった話になったが、当該の本は、『アイアンマウンテン報告―平和の可能性のと望ましさに関する調査―』(1967年)という書名の本である。1967年といえば、米国がベトナム戦争で泥沼に入り込み、またソ連との静かなる核戦争の待っただ中にあった頃だ。「核戦争」が非常に現実的な時代(もちろん今もそうだが)であり、米ソ双方の「戦争“準備”による平和」のなかに全世界が存在していた。

さて、この『アイアンマウンテン報告』のキモは「戦争は必要不可欠な社会システムである」と位置付けていることである。

こう書いてある。

「・・・戦争は、一般の想定とは異なり、国家によって表明された政治的価値や経済利益を拡張・防衛するための単なる政治的道具ではない。それどころか、戦争はそれ自体が、あらゆる現代社会構築のための基本的な組織原理なのである。・・・戦争準備状態こそは、現代社会システムを経済構造や政治構造より広範に特徴づけるものであり、むしろ政治経済構造は、戦争準備状態に包含されているのである。」

そして、この基本原理のもとに、「戦争の機能」を

①経済的機能

②政治的機能

③社会的機能

エコロジー的機能

⑤文化的機能と科学的機能

の5つに分類してそれぞれを論じ、“もし平和を訴求するとすれば”この5つの(戦争に代わる)代替機能が必要であるとし、各代替機能について述べているのだが、一つ一つをよく吟味すると、20世紀後半における米国の戦略がことごとくこの調査報告と合致していることがわかる。例えば、政治的代替物としては、「戦争の有効な代替物は、各社会にとって一般化された脅威を置くものでなくてはならない。その脅威は、社会が政治的権威を受け入れて組織化するに足る性質と規模のものでなくてはならない。」として、その試案に「a) 遍在し、実質的に万能の国際警察。 b) 広く認知されて疑問の余地のない地球外からの脅威。 c) 大規模な全地球的環境汚染。 d) 架空の代替敵」を置いている。また社会機能代替案の試案には、「a) 平和部隊のモデルから派生するような各種計画。 b) 現代版の洗練された奴隷制。動機づけ機能: a) 環境汚染の強化。 b) 新興宗教などの神話。 c) 社会化された流血ゲーム。 d) 以上の組み合わせ。」としている。しかし、報告はまだ続く。このような試案に対する一つ一つの可能性ではなく、それぞれの代替機能が相互に且つ完全に組み合わされないと「戦争に代わる代替物」とはならない、として、最終結論をこのように述べている。(引用文が長く続くがお許し願いたい)

「わが国政府としては二種類の一般的想定条件に対して十分な計画を行う必要がある、ということである。第一の想定条件は、可能性は低いながら、有効な一般的平和の可能性である、第二の想定条件は、戦争システムの継続である。われわれの見解では、平和の可能性に対する慎重な準備を行う必要があるのは、われわれが戦争の終わりを(それが万が一可能であったとしても)必ずしも望ましいとする立場をとるからではなく、平和がわが国の準備状況にかかわらず、何らかの形で投げかけられてしまう可能性があるからである。一方、戦争システムの合理化と定量化の計画は、戦争の主要安定化機能の有効性を確実ならしめるためのものであり、これは予想される結果の面でより大きな成果が期待できるだけでなく、必要不可欠である。われわれはもはや、これまで戦争がその任を果たしてきたというだけで、今後もそれがそうした機能を果たし続けるものとは確信できないのである。このような不確実性の時代における戦争と平和に関する政策の目標は、選択肢を最大限に保つことである。」

要は、単純な感情的或いは情緒的な平和がもしもたらされるとすれば「革命的な思考」を用いない限り社会の安定はありえず、現実的には絶えず戦争の準備(戦争の機能)をすることこそ、社会の安定と進歩につながる、という結論なのである。

当然、当時の米国の社会状況(ベトナム反戦公民権運動などが盛んな)からみれば、このような「戦争を是とする基本理念」が政府の秘密研究として行われていたとすることは、米国政府にとっても肯定する訳にはいかず、この本の真偽については、「イロモノ」という風潮で幕を閉じたのである。

この報告の「アイアンマウンテン(鉄の山)」とは、文字通り、冒頭のハドソン研究所所在地名であり、調査報告で「戦争・平和研究機関(シンクタンク)の必要性」が主張されていることが、冒頭のハーマン・カーンのコメントに現れたのだが、ほぼ半世紀たってからこの報告を再度見直してみると、繰り返しになるが、米国の取る国際戦略と合致する部分が非常に多くみられる

安倍晋三が唱えた「積極平和主義」とは、とりもなおざず本報告の結論部分の意図を含むものであるのは間違いない。このような歴史を持つハドソン研究所で安倍晋三が「2013ハーマン・カーン賞」を取ったことの意味、そして現在の日本が集団自衛権を始め、積極的に戦争路線へひた走っているその意図がほのかに見えて来る。

『アイアンマウンテン報告』とはそのような本である。

 

<補足①>

本報告については、1995年6月に再刊されたものを山形浩生が訳したものがあるので興味ある方はお読みください。(下記サイトよりDR可能)

 http://cruel.org/books/ironmountain.pdf

 

<補足②>

上記の訳者の山形浩生自身は本著を「エンターテイメント」と位置付けているようだが、それでも本著の論理展開や基本提起に関しては政府関与の信憑性云々の議論というより、このような提言の重要性は認めている。山形も言うのであるが、戦争を肯定する側がこのようなデータや深い洞察をもって展開するのに対して、平和を求める側のそれが余りにも「お寒い(山形)」と思われる。本文でも述べたが、平和論を情緒的なベースで展開している間は、「鉄の山報告」を記述した側の意図が世界戦略として堂々とまかり通るのである。山形が本訳書で一番最後に展開している解説はそのような意味で非常に面白い発言をしている。