柳田國男の『炭焼日記』

民俗学者柳田國男の『炭焼日記』は昭和19年1月1日から昭和20年12月31日まで の終戦直前直後の最も厳しい時期の日記です。

題名からもわかるように柳田は、 終戦直前の食べ物にも困る状況の中で当然燃料の薪炭にも困窮することから、自 宅で炭焼を見よう見まねでやるのですが失敗してしまいます。この失敗が何故か 柳田に「炭焼」の世界の不思議な符合のようなものを感じさせることになります。

彼は、日記の序文で、

「この本に記録せられた私たちの炭焼事業は、何一つ 作品を世に留めず、わずか半月ばかりで中止してしまったけれども、ともかくも こういう問題 を思い返す機会にはなった。」

と述べて、大分の炭焼小五郎伝説と 奥羽の金売吉次(かなうりきちじ)の話が非常に似通っていることを指摘、その 背景に炭焼をしながら日本列島をジプシーのように移動しながら生活していく集 団を想像します。それは、いわゆる鋳物業者(鍛冶屋)で炭焼をしながら日本列 島を渡って行った、と考えます。

彼曰く

「金売と炭焼が親子のようだった関係を 考えてみると、これがむしろ日本のような南北に長い島を、気永に渡って来た小 工芸者群の、常の生活の姿 であったろうと私は思っている。」

そして、同じよう な炭焼に関する話(伝説)が沖縄山原(やんばる)や宮古島にまで分布している ことから彼の想像はまたまた大きく広がります。

さて、その柳田の終戦から50年 の時が経ちますが、批評家の柄谷行人が『遊動論――柳田国男と山人(やまび と)』と言う本を出しました。遊動民とは定住地に住む現代の我々ではなく、非 定住の民のことですが、現代の日本人からそのような”民族”(日本人)がいたと はなかなか想像できませんが、柄谷は柳田の一つの仮定として「名もなく小さな 無名のもの」を農耕民という”常民”とは違うものを描いたのは、柳田が膨張する 帝国主義的思想にある意味抗しているのではないか、それは現代にも通じる何か がある、と論じています。

炭焼もこのような観点からみるとまた面白くも深いような気がします。

 

<DAIGOエコロジー村通信9月号より>