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中央の危機と周辺、その構造暴力的支配への闘い

スコットランド独立は住民投票の結果否決された。

この住民投票の動向に示したイギリス政府の狼狽は見ていて「溺れる者わらをもつかむ」という表現がぴったりであった。

首相のキャメロンはこのように言った。

「わたしのことが嫌いでも、わたしは永遠に首相ではない。現政権が嫌いでも、永遠に続かない。しかし、あなた方がイギリスから去ったら、それは永遠に続くことになるのです」

同じ日にわが日本では石破地方創生担当相が

「このまま行けば都市に人が集まり人口は再生産されず、地方はどんどん消滅に向かって進み、東京も消滅に向かって進み、結果は日本国の消滅になる。処方箋を出さないとこの国はなくなる。危機感を持たなければいけない」

と語っていた。

一見関係なさそうな両者の発言だが、共通しているのは「中央の危機」という意識ではないか。

キャメロンも石破も、地方に対する気持ちではなく中央の危機を恥も外聞もなく吐露していることに気付かないのだろうか。

1960年代に国連貿易開発会議事務局長のラウル・プレビッシュは論文『発展のための新しい貿易政策を求めて』で「中央と周辺」という新しい世界経済構図の概念を示したが、戦後の資本主義の拡大が先進国を中央とし、第三世界を周辺として発展してきたという説明は納得できる。

またこの理論に付加して、ノルウェーのヨハン・ガルトゥングは『構造的暴力』という概念を示し、中央が周辺に対する支配の構造を明確にした。

ちなみに「構造的暴力」とは直接の暴力行為ではなく国家や権力集団が、合法性を装い持続的におこなう暴力のことを言う。この暴力の特長は暴力を振るう側が特定できず、また振るわれる側にも暴力の意識があまりないことである。

これらの概念は個別の地域性や歴史性の違いはあるが今回のスコットランド或いは日本の地方にも構図として当てはまるのではないか。

要は、「中央」とは「周辺」無くして生きていけない存在なのである。そしてその「中央」が存在するためには「周辺」を構造的暴力によって支配していく方法が取られている。

しかし、「中央」の傲慢さもそのほころびが見えてきつつあるのではないか。

地方(周辺)は今こそ「中央」の構造暴力的支配を意識し見抜かなければその未来はあり得ないだろう。

構造的暴力が最も得意とするのは相手の内面の意志を巧妙に挫くことである。それは当事者自らが自らを抑制、隷属に向かわせる。

しかし、地方(周辺)が中央に対してその存在の意思を明確にすることが何より中央が最も恐れることであり、その意思をくじくためならば中央はなりふり構わなくなるのである。

我が国の沖縄を見れば一目瞭然ではないか!

沖縄よ、独立せよ!

 

 

<補論>

「中央と周辺」という概念は外部の世界だけでなく、一人の人間の内面にも実は存在しているのではないか。自らの”内面”への観想、内省を行わない限りこの”ドグマ”からは根本的には逃れられないのではないだろうか。