読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

科学不信の碑

御嶽山の噴火による被害は戦後の火山災害では最大の犠牲者を出すこととなった。まずは被害者への哀悼の意を表したい。

私は世界でも最大級の火山の一つである桜島を対岸わずか4kmの距離に眺める鹿児島市で生まれ育った。ものごころついた時から、火山降灰は日常的であり、桜島の爆発と噴火で育ったようなものだ。その桜島の最大の爆発が今からちょうど100年前の1914年(大正3年)の「大正の大噴火」である。死者は58名。流出した溶岩は桜島の西側および南東側の海上に伸び、それまで海峡で隔てられていた桜島と大隅半島とが陸続きになった。また、火山灰は九州から東北仙台に及ぶ各地で観測され、噴出物総量は約2km3(約32億トン、東京ドーム約1,600個分)に達した。もちろん昭和に入ってからも直接死者を出す被害はないもののその活動は衰えることはない。そのような桜島を鹿児島人はある意味「誇り」として敬っている。

わが母校小学校の校歌には「七色映ゆる桜岳の山の姿を仰ぐべし・・」、母校中学の校歌には「秀麗千古桜島火を吐く峰にこだまして・・」と謳われ、また母校高校の校歌には「若き学徒が火の島の燃ゆる情熱傾けて・・」と、火山への”恐れ”ではなく”畏れ(畏怖)”と敬意で慕っている。

そのような桜島であるが、地元鹿児島では一つの逸話がある。

桜島は観光旅行にも人気が高い。ある時都会から来た修学旅行生(高校)がガイドにこのように質問した。「(今は爆発していないけど)次の爆発はいつですか?」と真面目に聞いてきた。ガイドも一瞬答えそう(な気)になったが、さすがにそれは答えられない。それでこう返した。「それは直接桜島に聞いてください!」。一同笑いこけた。ということでこの話は終わりであるが、同じような話が今回の御嶽山噴火で繰り返されていることに複雑な思いに駆られた。

気象庁の記者会見で「火山噴火予知連絡会」の藤井敏嗣会長の発言である。

記者から「予知できなかったのか」の質問に「我々の予知のレベルはそんなもの」と言ってのけた。藤井会長の発言に対してマスコミ或いは一般の反応は結構憤慨しているようだが、ある意味正直な発言だ。まさに修学旅行生とガイドの対話と本質は同じなのである。

「目に見える現象」から「目に見えない原因」を”類推する”ことが「科学」であると定義するとすれば、見えない原因を”決定する”役割は「政治」が担うことになるが、福島第一、或いは川内原発再稼働、広島土砂災害など、科学(専門家)と政治(政治家)がきちんと連携プレーを取るのではなく、いわば”知識の無い権力(為政者)”と”権力の無い知識(科学者)”が同居する、全く無責任な体制の中に我々国民は自らの命がさらされているということを再認識すべきだろう。

もっと具体的に言えば、為政者も科学者も信用するに足りないということだ。自らの存在(命)は自らが守るしかない時代になっているということだ。桜島大正大噴火の10年後の爆発碑にはこう記されている。

『・・・本島の爆発は古来歴史に照らし,後日復亦(ふたたびまた)免れざるは必然のことなるべし.住民は理論に信頼せず,異変を認知する時は未然に避難の用意尤(もっとも)肝要とし,平素勤倹産を治め(勤倹貯蓄,殖産興業に励み)何時変災にあうも路途に迷はざる覚悟なかるべからず ここに碑を建て以て記念とす』

要約すると『住民は桜島の異変を知ったら測候所を信頼しないで直ちに避難せよ』ということだ。

この碑は、「科学不信の碑」として言われ、今でもその碑の趣旨は風化していない。

科学を無批判に信用してはならないのである。またその科学を根拠もなく盾に取り政策を進める権力者はもっと信用してはならないのである。

 

https://sites.google.com/site/harano2011/mu-ci/da-zheng-san-nian-ying-dao-pen-huo-ji-shi