美智子皇后誕生日発言に思う

★記者質問:「戦争を知らない世代が増えているなかで,来年戦後70年を迎えることについて今のお気持ちをお聞かせ下さい。」

 

美智子皇后:「私は,今も終戦後のある日,ラジオを通し,A級戦犯に対する判決の言い渡しを聞いた時の強い恐怖を忘れることが出来ません。まだ中学生で,戦争から敗戦に至る事情や経緯につき知るところは少なく,従ってその時の感情は,戦犯個人個人への憎しみ等であろう筈はなく,恐らくは国と国民という,個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということに対する,身の震うような怖れであったのだと思います。

戦後の日々,私が常に戦争や平和につき考えていたとは申せませんが,戦中戦後の記憶は,消し去るには強く,たしか以前にもお話ししておりますが,私はその後,自分がある区切りの年齢に達する都度,戦時下をその同じ年齢で過ごした人々がどんなであったろうか,と思いを巡らすことがよくありました。」・・「世界のいさかいの多くが,何らかの報復という形をとってくり返し行われて来た中で,わが国の遺族会が,一貫して平和で戦争のない世界を願って活動を続けて来たことを尊く思っています。遺族の人たちの,自らの辛い体験を通して生まれた悲願を成就させるためにも,今,平和の恩恵に与っている私たち皆が,絶えず平和を志向し,国内外を問わず,争いや苦しみの芽となるものを摘み続ける努力を積み重ねていくことが大切ではないかと考えています。」

 

今年の皇后誕生日にあたり美智子皇后が述べた言葉である。美智子皇后は昨年の誕生日においても、あきる野市の五日市憲法の話をしているが、ちょうど安倍政権憲法改正(9条解釈)に向けて積極的な活動を行っていた時期である。「五日市憲法」「A級戦犯」という直接表現そのものも驚きである。見方によっては、このような皇后の発言を「皇室の政治的発言」と見る向きもあろうが、それは当たらないだろう。何故なら、日本国憲法99条は「天皇又は摂政及び国務大臣国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」という条文があるからだ。ところが、改憲派と目される八木秀次と言う憲法学者が『正論』(産業経済新聞社)5月号で「憲法巡る両陛下のご発言公表への違和感」という文章を発表している。八木によれば、「憲法改正は対立のあるテーマだ。その一方の立場に立たれれば、もはや「国民統合の象徴」ではなくなってしまう。宮内庁のマネージメントはどうなっているのか。」ということだそうだ。右翼保守的見地から見てもこの八木発言は「宮内庁への批判としつつも実態は両陛下のお言葉を捉えて批判するコラムで、これを喜んで掲載する編集部に嫌悪感すら感じる。」(日本国体学会)ものである。また前述の憲法99条に照らし併せても両陛下の発言は真っ当なものであろう。戦中戦後の旧左翼的見地から見れば、「天皇(制度)はとにかく打倒!」という立場であり、今上天皇が何と言おうと評価もしなかっただろうが、昨今の共産党機関紙「赤旗」においても両陛下の発言を評価する記事が掲載されている事実は、現在の日本の状況が相当危ういと思える。両陛下の発言を間接的に批判した八木秀次は第1次、第2次安倍内閣のブレーンであり、彼の発言とそのポジションが安倍政権そのものと見ても間違いではないだろう。「天皇に喧嘩を売った安倍政権!」というフレーズのネット評論も数多く散見されるが、「天皇国家元首とする」という主旨の憲法改正案を抱く自民党安倍政権の狙いは、自分たちに都合の良い天皇の存在をめざすのものであることは明白だ。現在時々マスコミをにぎわす天皇家に関する週刊誌的話題の背後にもそのような意図が隠されていると思われる。今上天皇美智子皇后は、戦後平和憲法の申し子とも言える存在である。自らの立場を踏まえた上での人間としての発言である両陛下の言葉はそう言う意味でも貴重な発言なのである。

 

●宮内記者会の質問に対する文書ご回答

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h26sk.html