もういちど「固定相場制」へ戻す選択

毎日のテレビのニュースの後に必ず「本日の為替は・・・」と言うアナウンスが あります。最近は天気予報と同じ感覚で聞くような感じになりましたが、これの 基になる「変動相場制」はそれほど古い歴史ではありません。それまでは「固定相場制」でありしかも基軸通貨が金と交換できる「金本位性」であったことも見 逃せません。

これはプレトンウッズ体制とも言われていましたが、基軸通貨のド ルを有する米国のベトナム戦争敗北に伴う内外の政治政策の矛盾を切り抜ける策 として導入したものが基軸通貨を金とは交換することなく、しかも基軸通貨の威 力を保持するために設けた制度が「変動相場制」でした。

1973年のことです。それからわずか40年足らずのうちに、「為替相場」という国際的な国家を上げての 博打経済が出来上がりましたが、そもそもモノという商品と違う性質の「貨幣」 を「市場」に持ち込むことの根本的矛盾があるように思われます。

経済学者の宇 野弘蔵やカール・ポランニーはその価値論において、「労働・土地・貨幣」の市 場化について否定的な見解を述べていますが、それは「労働・土地・貨幣」は本 質的に”生産”できるモノではないという至極あたり前のことです。労働は生身の 人間の活動であり、土地は自然の付属物であり、貨幣とは単に代用品でしかない ものです。ポランニーはこのようなものを「擬制商品」と呼んでいますが、この ような擬制商品が市場で取引されると必ず「人間は、悪徳、倒錯、犯罪、飢餓な どの形で、激しい社会的混乱の犠牲となって死滅する」(ポランニー著『経済の 文明史』)と彼は喝破しましたが、まさに現代の市場至上主義の社会に当てはま る言葉です。

その博打貨幣は国家ステージからいよいよその矛盾を個人ステージ にまで広げて来ています。今話題のNISAという仕組みはその表れの一つで しょう。

そもそも「市場」とは社会システムに従属する一つの形態(領域)で あったものですが、社会システムそのものが「市場」に従属するという逆転現象 が起きてしまった背景に、このような貨幣の市場取引という要因があると思われ ます。

そこで一つの提案として、もう一度「固定相場制」へ戻すという選択もあ るのではないか、と考えられます。これに似た制度が「ドルペッグ」という制度 ですが、いずれにせよ基軸通貨の責任をキチンと明確にしよう、ということで す。

金本位の時には、基軸通貨国は価値の絶対尺度としての金との交換義務を負 い、そのことが基軸通貨国の無責任な政策や暴力的戦争経済の発生を間接的に抑 えていましたが、冒頭のプレトンウッズ体制の崩壊は、その後の基軸通貨国米国 のドルそのものを絶対価値尺度にするという、いわばウルトラC級の資本主義矛 盾の脱出術でもあった訳です。

1973年の国会(第071回国会 予算委員会 第 14号)における変動相場制へ移行時の国会答弁で当時の大蔵大臣の愛知揆一は

「私どもとしては、従来からのやり方になれておりますし、国民もそれになれて おりますから、固定相場制で旧来の形に返ることが望ましい」

と述べています。

天気予報と同じ感覚で流される「為替(の値動き)」という情報の博打性或いは 欺瞞性とも言うべきものをシカと見るべき時期に来ていると思われます。