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大学改革

教育再生会議安倍晋三が2006年に設置した諮問会議だが2008年の安倍退陣で解散した。しかし、2013年第二次安倍内閣の元「教育再生実行会議」として発足した。単なる再生会議から再生“実行”会議としたことからも、我が国の教育に対する介入の度合いを大きく且つ強くしていく決意が見えたものだが、この会議が「世界トップ100に10大学」と言う提言を行っている。しかし、その本音は『わずか1%のエリートが社会を指導していけば良い』(加藤秀俊)それ以外は『出来ん者は出来んままで結構、エリート以外は実直な精神だけ持っていてくれればいい。』(三浦朱門という、エリート(A層)教育と大衆(B層)教育の分別教育である。

折しも、これらの意図を受けたのか、文科省は昨年11月に「国立大学改革プラン」を提示した。10年前の大学法人化に続く流れであるが、益々国家による大学自治、学問の自由、そして大学解体が進んでいると言わざるを得ない。その背景に「グローバル化」「少子化」「新興国台頭」などを挙げているが、有無を言わさぬ「競争と淘汰」論理の導入であり、加藤秀俊三浦朱門の言葉の裏付けであろう。ある大学関係者は「大学は運営の時代から経営の時代に入った」と言っているが、いよいよ教育の最高峰である大学にも企業経営と同じ考え手法で優勝劣敗、弱肉強食の流れがその勢いを増して来たといえる。

しかし、このような流れを作った原因は大学の内部にこそその主因があるのである。その源は、国家による大学改革の歴史を振り返れば、1970年代に導入された「産学協働路線」にあると思われる。今は、「産学連携」と言う言葉で非常に肯定的に捉えられているが、大学の持つ「学問の自由」と「大学の自治」を形骸化させる第一歩であったと言わざるを得ない。この「産学協働」の流れは、その後「大学共同センター」の設置や「法人化」「競争的資金導入」などの分別教育路線をひた走ることになるが、このような流れに抗する大学・大学人は結局は現れなかった。逆に大学内部においては「学閥化」「企業化」がますます進み、自由な学問的議論はもってのほか、ボス教授を中心とする学内ムラがはびこるようになる。それは、福島第一直後の「専門家」と言われる一連の大学教授の発言と資質をみれば明らかであろう。

このような国立大学改革は必然的に私立大学にも及び、ますます「生き残り」を掛けて壮絶な「競争と淘汰」が始まるだろう。その犠牲者は果たして学生だけなのだろうか。ある意味、大学の質はその国・社会の発展のバロメータでもあるが、 “1%理論”を標榜する連中の「大衆は無知のままが良い」という考えのもとに、多くの人民の教育機会の奪取とそのレベルの低下を意図的に行い、「従順な大衆の養成」を狙っているのだろうか。

大学生、そして大学人よ、今一度貴君らの大学の「建学の精神」を読み直せ!そこには何と書いてあるのか!