細川出馬と小泉利権

細川護煕東京都知事選出馬ということで都知事選をめぐる状況が非常に混沌として来ている。細川だけの出馬であれば精々週刊誌ネタの話題だけであろうが、小泉純一郎が“あと押し”となるとにわかに政権与党はじめマスコミ含め大きな“政局話題”のような話になって来ている。これに対して、自民党政権側は「困惑」という報道がされているが、コントロールしやすい舛添要一自民党都議団に詫びを入れるというパフォーマンスでとりあえず候補者の擁立は出来た。一方、相変わらず腰が定まらない民主党は、一時桝添擁立に動いていたが細川支持へ動いている。また、前回立候補した宇都宮健児を支持する側では、「同じ反原発なら細川一本化の方が勝てる」という声が出て来ており支持者が二つに割れそうな気配である。私にとっては、都知事選の戦況を床屋談義で評論してもさほど面白くもない話であるが、しかし「何故小泉は“脱原発”で動くのか」ということと「脱原発を進める側(宇都宮)の分裂」というこの2点については気になるところである。

さて、ここから先は、一つの想像話・与太話である。

この二つの事項は当然関連している動きでもあるが、以前から私は小泉純一郎の“脱原発発言”のいかがわしさ或いは下衆な言い方をすれば“裏”が必ずあると思っているが、今回の動きをみてますます確信してきた。小泉純一郎の特長の一つは政治家にとって必要な直感力の鋭さであるが、「これ(福島原発事故)からはもう原発推進では(政権維持は)やっていけない」と判断したのであろう。その前に、そもそも都知事選という降ってわいたような年末年始の政治スケジュールを見ないといけないだろう。猪瀬おろしが何故起きたのか、はホントのところはわからないが、類推するに、徳洲会の毒を共に食った沖縄県知事仲井真弘多に対する圧力としての大仕掛けであったと思われる。都知事一人の首と沖縄(辺野古)は天秤にかけてもすぐわかる判断である。それにオリンピック開催をめぐる利権争奪(石原慎太郎森喜朗)も加わったのであろう。もちろん石原慎太郎も(徳洲会ゆえに)オリンピック利権を奪われたのである。安倍政権は、わずか1年で消費税、TPP原発推進特定秘密保護法と突き進み、沖縄辺野古、集団自衛権憲法改正とあれよあれよと数に頼む強引な政治権力を行使してきた。小泉はさすがに、「このまま突き進むのはマズイ」という長年の政権側にいる長老政治家としての判断があったのだろう。そこに都知事選である。あまりにも安倍政権の猪突猛進ぶりを見ていた小泉にとっては、このままいけば「もしかしたら宇都宮に持っていかれる」という判断があったのかもしれない。東京都知事という立場の強大さは日本の政治家であれば左右問わずだれでもわかっている。ましてやオリンピック利権もある。そのためには、反原発票を分断する必要がある。しかし、安倍政権側は、原発を争点にしないという消極主義で投票率も下げ都知事選に臨もうとした。ここで小泉は持ち前の「直観力」でチャンスと見たのではないか。何がチャンスか!「権力を維持しながら脱原発の方向へ舵を切りその利権を頂く」チャンスである。小泉の数々の発言を再現するとキーワードは「廃炉利権」であると思われる。しかも、彼は「“脱”原発」であって「“反”原発」とは一言も言っていないのだ。政治家とは言葉で人を操る職業である。語彙の持つ意味は大きいのである。「脱」と「反」の差は大きい。というより本質的に違うのである。「脱も反も原発をなくすことは一緒だから」という論理は政治の世界では通用しないのである。あくまでも「脱」であるので、その方向へ向かっているという姿勢だけ示せば良い。小泉の利権は、まずは「(比較的新しい原発)の再稼働利権」→「廃炉利権」→「(次エネルギーとしての)燃料電池」ではないか。燃料電池についてはハイブリッドが主流になる大きな流れが出来、加速度的に電気自動車の移行が起きる。当然バッテリーの需要は大きく伸びるであろう。また分散型電源としての蓄電池の市場は莫大である。少なくとも世界は原発からそのような流れにシフトしつつある。小泉の話ばかりでは、表に立つ細川に対しても失礼になるので少しは話さないといけないだろう。細川が隠遁して陶芸家をやっているというが、政治家という生き物は死ぬまでその根性は「政治家」なのである。細川も総理経験者である。同じ政治家であっても、総理経験者というのは、その人物本来の出来不出来は別としても、最高権力の環境にあるものだけに通じる「何か」があるのではないか。そのような背景で小泉と細川が呉越同舟か同床異夢かはわからぬが、何かの一致があったのだろう。「脱原発」はそのシンボルとしての標語に過ぎない。とにかく彼らの唱える「国」とは自らの「利権」なのである。

さて、最後に、宇都宮支持派の「仲間割れ」について述べたい。なぜ「反原発運動」が国民運動にまで盛り上がらないのか!その理由はいろいろあるだろうが、一ついえることはあまりにも「シングルイシュウ」としてしか捉えていない限界が表れていると思われる。原発」も「貧困」も「格差」も「差別」も、全ては同じ根っこから出ているということを認識できない限り、今回のような「細川一本化」話が出るのである。日本人は表には出さないが、「深く考えることが出来る民族」だと私は思っている。欧米的西洋合理的な発想と思考ではなく、東洋的不条理思考とでもいうべきものであるが、「根にあるもの」を見つめ感じる力がある。だから、福島に残る方々の思いは、沖縄の基地下にすむ人々の思いは、深いのである。その深さを共に体験共有し根っこを見なくてはいけない。「細川一本化」を唱える方々に共通しているのは「選挙は闘いだから勝たなくては意味がない」という戦術論が多いが、鄧小平の「黒いネコだろうが白いネコだろうがネズミを捕るネコは良いネコである」という高度な戦略に立った思考とは到底思えない。まだ告示日(23日)まで10日以上あるが、状況がどう変わるか全くわからないが、私としては宇都宮健児氏に投票するつもりであるが、もし、まかり間違って細川一本化になれば棄権するしかない。

いろいろ長く与太話をしましたが、最後まで付き合って頂きありがとうございます。ご意見があれば是非伺いたいところです。