時代へのアジテーション

思うに時代の変革の構図は不条理な世界ではないか。ある条理に対して同じ条理で対抗する限りにおいては時代を根本的に変革する力にはならないだろう。時代を突き抜く力は人間の根源にまでたどり着かない限り手にすることは出来ない。そういう前提で歴史を見れば、ある共通なシチュエーションを見ることができる。

すなわち、それは「全体に対する個の反乱」である。

見よ!ルネサンスは腐敗した宗教権威に対する個の闘いであった。また、機械化による効率化された社会に対するアンチテーゼとしてマルクスは「個の全面開花」を唱えたのだ。

今我々が感じる時代の閉塞感はとりもなおさず、全体即ち組織に対する個の叫びであり慟哭である。個と全体の融合などと言うものはそもそもが在り得ないのだ !今日の不条理を条理で解決出来るという固定観念こそ打破すべき対象である。しかし、この固定観念、言い換えれば民主主義という世界的共同幻想は地球の隅々にまで侵食しつつある。民主主義はあのナチスも使った手口なのだ。皮肉にも個と全体の融合を体現したのは全体主義である。

さて、ではどうするのか!

一つのヒントがある。それはカウンターカルチャー(対抗文化)だ。ある意味陳腐ではあるが裏返せば普遍的なことだ。そもそも芸術とは個の魂の具現化である。魂を(自ら)商品化する(現代の)消費芸術に抗するカルチャーの構築こそ時代の変革の突破口を開くことが出来る。カルチャーとは一部の職人的器用さが優れた者だけの世界ではない。我々一人一人がすべて持ち得る力なのだ。誰が幼児の描いた絵を笑うことが出来るというのか!誰もが全て通って来た道である。

敢えて言う。60年代70年代を生きた者に!

思い出せ!

あの不条理な状況を!

そこから何を見出したのか!

もし追憶の中にあるならば死ぬまでにもう一度それを己の中から引きずり出せ!

そして若き芸術家・表現者に言いたい。

時代と寝るな!と。

 

http://www.rikkyo.ac.jp/research/laboratory/IAS/ras/27/kuwano.pdf