普天間と環境ファシズム

鳩山政権が8ヶ月で終焉しました。

自民党政権時代にも批判された「政権たらいまわし」という言葉が当てはまらないように、新政権にはがんばってもらいたいものです。

さて、鳩山首相退陣の大きな要因となった沖縄普天間基地移設(返還)問題ですが、5月28日の日米共同声明の中に、【環境】と題して、

環境保全に対し共有された責任の観点から、閣僚は、日米両国がわれわれの基地及び環境に対して、「緑の同盟」のアプローチをとる可能性について議論するように事務当局に指示した。「緑の同盟」に関する日米の協力により、日本国内及びグアムにおいて整備中の米国の基地に再生可能エネルギーの技術を導入する方法を、在日米軍駐留経費負担(HNS)の一構成要素とすることを含め、検討することになる。(以下略)』

 

という項目があります。

この部分の受け取り方や分析は様々ですが、ここでは取り上げません。

問題にしたいのは、このような深い議論や認識が必要な事象に対しても、「環

境」という大義名分を掲げれば、「どこか納得せざるを得ない」という空気があ

るのではないか、ということです。そして、それはしばしば私たちの回りでもおきているのではないでしょうか。多分、ご経験はあるでしょう。

「(地球)環境問題」は、ある面の正当性があるだけに、少数派になると「地球

環境のことを考えていない!」などと言われるともう反論する余地はありませ

ん。このようなことを環境倫理学という議論の中で、「環境ファシズム」と呼ん

でいます。しかし、今回本当に問題にしたいのは、このような「環境」への認識と対応が、逆に(ある意図を持ったものに)利用される危険性、ということです。何か物事を通したい時に、「これが見えぬか!」と黄門様印籠よろしく「環境という錦の御旗」が掲げられる、ということがまかり通れば、いろいろな場面でおかしなことが起きてくるでしょう。

私たちも、常に意識的に「環境」の議論の幅と底を広く掘り下げることも重要ではないでしょうか。

普天間基地問題を「環境」を人質に議論の矛先を変えては欲しくありませんね。