修験道と炭焼

今年の秋の高尾山は、例年になく多くの人出でにぎわっています。

これもミシュラン三ツ星効果でしょうか。

また、高尾山は、年間約300万人近くが登山する、世界一の登山者数を誇る山でもあります。

都心からも近い(およそ50分)こともあり行楽地のイメージが強いですが、「天

狗」がシンボルでもあるように、もともとは山伏たちの修行の場(修験道)でもあり、現在でも、滝修行が「蛇滝(裏高尾)」と「琵琶滝(表高尾)」で行われています。

さて、修験道と炭焼は一見何の関係もありませんが、遠くみちのくの炭焼人「炭焼籐太」の話の中に、「籐太は修験道であった」、という逸話もあるようです。

この炭焼籐太の居た場所が、宮城県金成町(現在栗原市)で、この籐太の長男が有名な金売吉次(かねうりきちじ)という、義経東下り話にも出てくる人物です。但し、籐太も吉次も実在したかどうかは不明です。

この籐太と似た人物に、佐渡の「炭焼籐五郎」がいます。

この籐五郎にも黄金伝説があり、炭焼と鉱脈(金)探索は、なにかつながりがあったように伺えます。

さて、現在の炭焼は、黄金探しとは縁もゆかりもありませんが、少し夢をもちたいものです。(2008.12)