【地方自治の本旨】

都議選が始まる。現知事が政府与党を離党したとか、オリンピックへの国の関与とか、とかく我が国の政府と地方の関係は、戦後の一時期を除き中央集権体制ががっちりと維持されている。そのことを地方自治に携わる政治家、行政役人はおろか、住民さえも「当たり前」のように思っている。水戸黄門を人格者としてあがめるような国民だからその意識は相変わらずの「封建思考」から脱していない。経済発展を遂げ、いかにも先進国のような顔をしているが、昨今の安倍政治の行為とその支持率の関係がそのことを物語っている。

憲法第8章は地方自治について述べているが、その92条は『地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。』となっている。「地方自治の本旨」とは何か。地方自治の本旨とは、その地域における統治は中央政府機関によることなく、その地域の住民自身によって行われることである。すなわち、中央政府に干渉されることなく、地域住民が自由に自らの意思を決定して行われることを「地方自治」と呼ぶのだ。

しかし、翻って、如何ほどの自治体がこの憲法に沿う「地方自治の本旨」に基づいた行為をおこなっているか。「沖縄」「原発」を見るまでもなく、全自治体に網の目のように張られた中央集権の仕組みの構造は広く深い。そもそも「国政が変われば地方も変わる」というお上思考が与野党問わず、保守・革新問わず、あるように思えるが、実はその逆ではないか。「地方を変えることが国政を変えること」に繋がるというのが現代政治の課題のような気がする。自らの足元(地域)を見ることなく、一方的に流される大きなトレンドとしての「グローバル民主主義」を「本旨」と捉えてないだろうか。

『人民の人民による人民のための政治』とは言い換えれば、『住民の住民による住民のための政治』ということである。21世紀をルネサンスに例える多くの言説があるが、そのルネサンスの大きな歴史の転換と変化の時代の端緒を開いたのは、イタリアの地域都市である。彼らが、自らの足元において、現実への懐疑と抵抗がその発端となったのだ。

東京は地域と言うにはあまりにも大きな都市国家のようなものだが、今回都議選を相変わらずの国政代理選挙として見るのではなく、都民が都民自身の問題を都民のために決めていく、という視点から「豊洲」「オリンピック」の陰に隠れている様々な都民の問題を今一度明らかにしてい必要を感じる。もっと言えば、都民を形成するもっと最小単位としての市町村自治(基礎自治体)レベルでの転換・変化こそが、日本国そのものの転換・変化につながるのではないか。身近な事とは空間的に制限されたことをいうのではない。地域において、「憲法9条」或いは「国際政治」「国際経済」を堂々と議論しても構わないのである。

中曽根語録にみる安倍政権とのイデオロギー闘争

先に少し長くなるが、中曽根康弘氏の著書『日本の総理学』(PHP)から引用する。

『  近頃の政治家が目先のいわば臨床的な措置しか語っていないように思えるのは私だけでしょうか。みななりたての新米医者のようなことを言う政治家ばかりで、病理学を熟知した病院長が見当たらないのです。日本社会も同じように臨床的です。深い歴史観や哲学に裏打ちされた、医学で言えば体系の上に立った病理学的見方が欠落し、すべてが表面的、表層的、かつ瞬間タッチ型なのです。日本人の精神を貧困にしている一番の原因がまさにここにあります。私には、国民のみなさんがいま乾燥しているように見えます。人間の「情」、あるいは歴史的な連続性への「憧れ」、さらには喜びや悲しみを大事にするような「心」、そうした潤いが感じられないのです。それはなぜか。私は日本社会が物事を判断する価値基準を失ったことが原因だと思っています。今日、確かに頼るべき価値判断基準はありません。そうだとすれば、日本や世界の歴史を良く学び、歴史の中から「国家はこうあるべきだ」、「社会はこうあるべきだ」、「人間はこうあるべきだ」と言った原理・原則を私たち自身で獲得していく以外方法はないのです。とりわけ一国の指導者は、自ら先達となるべく、勉強し、日本の柱となる思想を体得し、それを国民に示しながら政治を進めていく必要があります。国会での論戦も、まさにこうしたことをテーマに議論すべきなのです。 』(  『日本の総理学』(中曽根康弘)【歴史に耐えうる決断とは】より引用)

  主義主張も180度違い、当然歴史観、国家観も真逆の中曽根氏だが、上記の発言を否定する理由はなにもない。否それどころか、まさにその通りなのである。かれはこの著書の中で、国家とは何かを説き、憲法改正を説き、教育を説いている。私は、今の安倍政権を社会病理学的見地から見た場合、まさに社会というより、政治そのものに”病理”をみたのだが、皮肉にも思想的立場の真逆の中曽根氏も同じように、病理学的見解から政治と社会を見ていたことに少し驚いている。しかし、彼と私が根本的に違うところは、政治家は医者ではなく患者という認識である。国民主権とは国民自身が政治を行うことが基本であり、社会に病巣があるとすればそれを直す医者は国民自身でしかない。政治家とはたんなる代理人に過ぎない。しかし、社会病理的患者である政治家の言葉をいとも簡単に信じることもこれまた病理的と言わざるを得ない。さて、そのような中曽根氏と私の主語が転倒した見解ではあるが、やはり彼が言っていることは正しい。日本の戦後体制の根本的変換、それは戦前回帰の思想ではあったが、ハッキリと政権がその方向を示したのはやはり中曽根康弘氏がその発端であろう。安倍政権は突如突出した極右思想を持ち込んだ訳ではなく、およそ数十年と言う流れの中でイデオロギー醸造・熟成されてきたのであり、安倍政権はその流れにのっかかっただけである。

中曽根氏の言う、「日本や世界の歴史を良く学び、歴史の中から・・・・・・・・・・と言った原理・原則を私たち自身で獲得していく以外方法はない」という言葉を、安倍政権に抵抗を示す国民勢力は重く受け止めなくてはならない。安倍政権に翻弄され、彼らの社会病理的表層だけを抵抗の対象としている限り、彼らが仕掛けたイデオロギー闘争における彼らの勝利は目に見えている。そういう意味からも中曽根氏の言葉を借りれば、「日本社会が物事を判断する価値基準」「日本の柱となる思想」そのものを抵抗勢力側は持たねばならないだろう。「憲法守れ!」はイデオロギーにはならないのである。「森友」或いは「加計」では安倍政権は倒れないし倒せないのである。

※冒頭の中曽根氏の言葉の「政治家」を「国民」に、「国民」を「政治家」に置き換えて読んでみると分かりやすいだろう。

グリーンエネルギー革命と社会変革

安倍政権の極右シフトが言葉狩りにまで影響を及ぼしそうなこの頃です。ところで「革命」という表現は様々な状況で使用される日常語的な表現ですが、意識的に曲解されて、無条件に血生臭いものだと考えたり、甚だしい暴力行為が行われる無秩序な社会状態が出現することだと考える人もかなりいるようで、「革命」という言葉にも、そのうち何らかのバイアスがかかるかもしれません。「日本の政治に革命を!」などと叫ぶだけで「共謀罪」を問われそうな今日の情況です。さて、前置きはこのぐらいにして、2012年に当時の民主党政権が「私たちの手でグリーンエネルギー革命を実現しよう!」というキャッチフレーズで『グリーン政策大綱(骨子)』を唱えました。原発事故の直後ということもあり、政権の責任も踏まえ、そこで挙げられた項目は「原発ゼロ」を目標にかなり、確かに「革命的」な提案となっています。「IT革命」と比較する「グリーンエネルギー革命」の絵柄では、「政府・電力会社」と言う項目で、主役の交代を「消費者」或いは「ベンチャー企業」と位置付けています。しかし、この大綱(骨子)を出した直後の政権交代により、安倍政権はこの『グリーン大綱(骨子)』の真逆の方針(原発容認)を『エネルギー基本計画』として出して来たのはご存じのとおりです。  社会が進展進歩するのは、直線的ではなくかなりいびつな線を描きながら進んでいく訳ですが、「ターニングポイント(T.P)」或いは「エポックメーキング(E.M)」と言われる切っ掛けが必ず存在します。福島原発事故を歴史的観点から見た場合、かなり「T.P」「E.M」的事象であったことは疑いもないでしょう。先の『グリーン政策大綱(骨子)』では、「グリーンエネルギー革命によるイノベーションの連鎖で新たな仕事・会社(※)が生まれ、産業構造が変わっていくこと」と表現しています。単に技術の変更ではなく、文字通り「新しい社会」を目指すことこそが、「革命」ということになるのですが、「低炭素社会」を目指すのであれば、やはり単に技術の変更だけではなく、「社会(構造)の変革」というものを見据えて行わなければ、いつまでも社会というものは変わらないということでしょう。先の民主党政権に「社会変革」という気概まであったかどうかは、現在の民進党を見れば一目瞭然(※「会社」を「社会」と表現しない!)ですが、少なくとも、原発事故直後の政権にはその表れを感じさせる動きはあったように思います。世界の右シフト傾向やきなくさい「戦争」の匂いなどが顕在化してきている現代は、後の世から見れば確かに「T.P」「E.M」だと言われることは間違いないと思われますが、余りにも「現実」を優先させる流れを、たとえユートピア的であろうと「社会変革」を伴う「未来」を見据えた様々な決断・決定の流れに少しでも変えていく努力こそ、「歴史的生き方」と言えるのではないか、と思う次第です。

余命1か月

さてこのような文章を書くことを当初ためらったのであるが、思うところあり書くことにする。

昨日の夜、真の兄弟のように付き合う従兄弟から電話があった。時々会っていることもあり、「また何か用でもできたのだろう」という軽い気持ちで応答した。しばらく無言。そしてその後「、、、あと3か月の命と言われた、、、」という涙声の従兄弟の声を耳にした。唖然、そして絶句である。どう言い返せばよいのかわからずまま、こちらも無言になってしまう。頭の中で、従兄弟の伝える言葉の真実と真意を自問自答する。その間、わずか数秒程度のことだろうが、やっと「どういうことだ」と切り返す。「日曜日に胃がちょっと痛くなり、病院で検査入院したんだ。そして今日その結果を告げられた。すい臓がんで胃まで浸食され、どのような処置ももう効かない段階ということだ」と咽びながら従兄弟は答える。私は、「そんなことないだろう。何かの間違いだろう」と慰めにもならない、勝手な願望の言辞も会話の流れで話したような気もするが、「とにかく明日、病院へ行くよ」と返すのがやっとだった。電話を切った後、頭の中で従兄弟との出会いのさまざまな場面がフラッシュライトのように浮かんでは消え、何とも言えない重苦しい気分に見舞われ、その晩は寝付けぬままに朝を迎えた。「あって何をどういえば良いのか」、朝からその事ばかりが頭を離れない。従兄弟と約束したのは午後5時だ。東京では彼の親族は私しかいないこともあり、「担当医の話を聞いてくれ」と従兄弟が病院側に要請したとのこと。病院へ向かう車中でも、「どういう態度が彼を傷つけないことになるか」「もしもの場合、どのような段取りを(私は)取るべきか」「余命3か月という期間にできること、しなければならなことは何か」ということばかりが頭を巡る。頭の中では、私は「余命3か月」という従兄弟への宣告を私自らへの宣告のように感じながらも、また「(従兄弟は)私に何を要請するのだろうか」という身勝手な不安も同時に湧き起る。また、「死」というものを無理やり冷静に捉えようと、目線は車中の乗客の全てを追いながら「(乗客の)彼らもいつかは死ぬ。誰でも。それは早いか遅いかだけだ。」と必死に考えようとする。そのようなあらゆる感情が入り乱れる状態のまま、病院の前でしばし立ち止まること数分。意を決して意図的に明るい声で、「病室はどこだ」従兄弟に電話する。従兄弟に教えられた病室へ足を運びながらも、彼の顔を見ることに耐えられない気持ちは未だに続いていた。病室で寝ている彼に声を掛ける。思ったより、落ち着いた感じで答える彼に、私の不安は少し消え、何とか普通に振る舞う。談話室で従兄弟と二人きりになり、私は普通に「気分はどうだ」と聞く。従兄弟は「大丈夫だ」と答える。どう切出せばよいか、私は少し逡巡しながらも「医者の見立ては医者の側からの見立てでしかない。彼ら(医者)が我々の生命を完全に司っている訳ではない」などと理屈をいう。彼はそれにうなずくとも心ここに非ず、という感じだ。と、突然彼が泣きだし、私の手を取って、「あとをよろしく頼む」と何度も何度も頭を下げる。私も一緒に泣きそうになったが、従兄弟の負けん気の性格と気質を知っている私は敢えて冷静を装い、「わかった。大丈夫だ」と答える。そのようなやり取りがあった後、担当の主治医の話を聞くことになる。主治医は若い。まだ30代後半ぐらい私の息子の世代だ。従兄弟が(症状説明を)頼んだからだろうか、彼(主治医)は、従兄弟に「昨日と同じことしか話しませんよ」と、言いながら私に、従兄弟のカルテの画像を見せ、CTスキャン画像、MRI画像などに写る諸患部の説明を坦々と行う。そして、「早ければあと1か月しかもたない」と、ハッキリと言う。癌の告知について、このようにストレートに、しかもまるで車の故障を説明するような口調に相当な違和感を覚える。私は、その時何故か急に冷静になり、主治医に対するある種の敵愾心も手伝い、「なるほど、わかりました。先生のおっしゃることに多分間違いはないでしょう。これから先は医療を超えてあと残りの人生をどう生きるか、ということから考えないといけないということですね。ただ、あと1か月と言うのは、個人によってかなり差があるのではありませんか」と、私と従兄弟は普通とはちょっと違う人生を歩んで来ているということも付け加えて、軽く質問を投げる。彼は答えた。「精神力で何とかなるというものではありません。気持ちも行ったり来たりをくり返すでしょう。これから多分痛みが徐々に増して来ます。治療は麻薬しかありません」と。その時、部屋には主治医と私と従兄弟の他に担当の女性看護師の4人がいたが、死刑宣告にも等しい非常にヘビーな会話にも関わらず、本当に坦々と事務的に進んでいく。一瞬、なにか演劇中の人物になったような錯覚にとらわれ、従兄弟に対して「とにかく残された時間内にできることをやろう」と声を掛ける。彼も私と同じように、さも劇中の主人公のようなうなづきをしたように見えたのは、しかし、私が実はそう思いたかった意識下から出た感覚だったかもしれない。主治医との話は20分ほどで終わる。主治医の一貫した助言は身体が動くうちに身辺整理を済ませ、仮に故郷へ帰るのであれば早いほどよい、ということだった。彼はこのような症例に若いながら結構付き合っているのだろう。彼にとっての対患者マニュアルに沿った言動に見える。従兄弟に病室で別れを告げ、帰りの車中は少し気持ちが軽くなっていたのは何故だろうか、と考える。死へ赴くものへの生者としての申し訳なさなのか、或いはアリバイ作りか。

事態はまだ進行中である、、、、、、、。

現代社会の様相

少し政治的な話になります。多分誰もが、今の日本の状況について不安をお持ちでしょう。株価や円相場などの指標がいくら「高景気」を叫ぼうと実感としての「不景気感」は相当なものです。安倍首相は「国粋主義」を唱えながら、片方で米国への従属を世界に先駆けて率先しています。その安倍内閣では、多くの閣僚がその発言や行動が普通であれば辞任当然にも拘らず平然としています。いわゆる「森友学園問題」では、どうみても明らかに不正があるにも関わらず、国会における追求と議論は期待外れに終わっています。一方世界に目を向けると、トランプ大統領出現で「一国主義」に向かうかと思われた米国が、過激に軍事力を突出させ、「すわ戦争か」と脅かしながら、片方で交渉を行うチキンレースを行ています。フランスでは、「いまや右翼も左翼もない。あるのはグローバル対愛国」とルペン氏が述べ、国が真っ二つに分断されています。イギリスでは、「EU離脱」問題が結論が出たにもかかわらず未だにくすぶっています。

 さて、このように今の日本そして世界の状況を見てみると、「矛盾」したことが何故か堂々とまかり通る現象が続いています。このような状況についてさまざまな分析がなされてますが、どれも的を得ているようで、しかし釈然としない説明ばかりです。そしてそのように「わかりにくい」からこそ、「分かりやすい」説明が求められます。既存のマスコミはその「わかりやすさ」を提供する大きな存在です。その様な流れの中に「ヘイトスピーチ」或いは「北朝鮮有事」「憲法改正」などが次々と簡略化された記号の様な形式で説明されていきます。すべてが単純化された関係として、たとえば「政治」と「経済」、たとえば「宗教」と「科学」が、そして「戦争」と「平和」が語られます。その語りを保証する役割が「専門家」です。

 ここまで書いて気付いたことがあります。現代社会は、モノゴトを「自らが考えない」社会になってしまった、ということです。「自らが考えない」ということは、「私」という”主体(サブジェクト)”を”客体(オブジェクト)”化しているということです。グローバル化による社会システムの一元的統一化が、本来なら多様性と差異性に富むべき「個人」をそのようにしているのかもしれません。心理学にシステムⅠ(無意識・本能)、システムⅡ(意識・理性)という考えがありますが、ある心理学者によれば、システムⅡは「問題が簡略化されればされるほど人間は受け入れやすい」、という解釈があります。「理性が単純化されている」という表現なら分かりやすいかもしれません。冒頭にあげたいろいろな例を本来的な「理性」で思考すればもっと矛盾は解決するはずなのに、単純化された「理性」の思考がそれを阻み、結果として益々「矛盾」が深まっていくという不合理な繰り返しが行われている社会が今の社会と言えます。

 しかし、人間はそもそも機械ではなくそのように単純化された存在でもありません。人間が自らの中で本来ある「複雑さ」と外部からの「単純化」せめぎ合っているのでしょう。「不安」の要因はそのようなことから起きて来る現象と言えます。ロボット或いはAI(人工知能)に大きな期待と興味が膨らんでいる姿は、人間自身が益々「単純化」を目指す方向へ向かおうとしているようにも見えます。多分、その行き着く先には「全体主義」がゆっくりと顔を出して来るのでしょう。

 さて、皆さんの「理性」は果たして「単純化」されていませんか!如何ですか? 

<DAIGOエコロジー村通信5月号より>

当事者という意識

本号(会報4月号)の扉の「今月の断章 ワガコトとして(オイラーからラグランジュへ)」は非常に示唆に富んでいます。情報化社会の進展は、いつの間にか「思考する」ことから「選択する」ことに重点を置く社会となりました。それはシステムと言っても良いくらい我々の生活の隅々に入り込んでいます。「選択」は絶えず自らを客体化させることから始まります。「選択する”主体”」があるから主体的行動のように見えますが、日々の外部情報の波によって主体性は本来の自己を失い、その失った自己を「選択する」行為で「自己(と思われるもの)」を確認するという図式は、まさに現代社会システムにおける人間行為のプロトコルとなっていると言えます。抽象的言い方になりましたが、簡易に述べれば「当事者意識を失っている」と言っても良いでしょう。「当事者意識」を失えばそれは単に「主体無き客観性に身を任す(三島由紀夫)」しかありません。テレビに映る悲惨な画像を、酒を飲み食事をしながら視て、「反戦」や「平和」を訴えたり、時の権力や政府を非難する。弁舌豊かな或いは劇場的な感情移入の豊かなコメンテーターや、キャスターの語りが彼らの当事者意識を代弁してくれる。「今月の断章」でいうオイラー式とは「第三者的評価記述」であり、ラグランジュ式とは「当事者的評価記述」のことです。  国文者の蓮田善明(1904-1945)と文学者丹羽文雄(1904-2005)の逸話は今回のテーマを如実に物語ったものです。丹羽文雄は『海戦』という小説を書いていますが、彼(丹羽)は海戦の最中、弾が飛んでくる最中でも懸命にメモを取り、その戦闘の様子を描いた『海戦』を発表した時、蓮田は、〈本当の戦争〉を見ろと丹羽を非難しました。彼(蓮田)はこう言いました。「丹羽は戦ふべきだつた。弾丸運びをすればよかつたのである。弾丸運びをしたために戦闘の観察や文学が中絶してしまふと考えることも誤りである。弾丸運びをしたために或る場面を見失ふだらう、しかしもし弾丸運びをしたとしたら、そこに見たものこそ、本当の戦争だつたのである。」(蓮田善明「文学古意」)丹羽が当事者意識を捨て、「客観的な事実を冷徹に見る精巧なカメラ(三島由紀夫)」となっていたことに、文学者としての本当の在り方はどうなんだ、という鋭い問いかけでもあった訳です。戦争のような極限状態でなくとも、このようなシチュエーションは日常的にも見受けられるものでしょう。例えば、今問題となっている「森友学園」における首相夫人付き人においても「(法治国家における行政担当者としての)当事者意識」があればあのようなことは起きなかったのではないかと思われます。  「選択プロトコル」の社会システムが進めば進むほど「分業化」は並行して進んでいき、それはまさに「自己」の断片化であり、断片化されたピースをさらに選択することで再構成された「自己」とは果たして何でしょうか。幼少から外部情報にさらされ、与えられた情報を「選択する」技術を「教育」と称する社会から生まれてくる人間とは。どうすれば「当事者性」を持った思考ができるのか。 簡単な様で結構難しい問題です。

<低炭素都市ニュース&レポート4月号より>

女猟師”狩りガール”

八王子恩方地域も通年のように「害獣駆除」が行われています。土日になれば猟銃を持ったハンターがアチコチに出没、時にはエコロジー村敷地内や三太郎小屋敷地内でもイノシシを追っています。農作物に被害をもたらすことで、農水省の発表によれば2015年度で農作物被害金額は、合計で191億円。主要な獣種別の被害金額はシカが最多の65億円。次いでイノシシが55億円、サルが13億円となっているそうです。しかし、これらの野生動物に対処するための管理捕獲をする猟師は高齢化が進み、環境省の発表によれば、平成25年度において狩猟免許保持者は全国で185000人、うち60歳以上が123000人とおよそ66%を高齢者が占めています。そこで大日本猟友会は女性をターゲットに特に若い女性を対象とした「目指せ!狩りガール」というWEBマガジンを開設したところ、高い反響を得ました。2015年の10月に開催された「第3回狩猟サミット」の参加者は、32都道府県から総勢177名が参加、このうち女性の参加者が46名(25.9%)を占めたそうです。ちなみに女性の猟銃免許保持者は平成25年度で2037人います。

 このサミットの模様を取材した日経ビジネス誌はこの女性猟師ブームについて、「狩猟女子の本やブログを見ると、東日本大震災がきっかけとなったという人もいます。見ると普通のかわいい女の子たちですが、自ら捕らえたイノシシやシカの皮をはぎ、飼っている鳥を絞め、解体し、料理して食べ、皮をなめす。体験をもとに狩猟や解体のワークショップを開催する人もいます」(日経ビジネス2015年10月号)と報告しています。

 これらの女性に猟師を目指す動機を尋ねたところ、「農作物への鳥獣被害を減らしたい」(福井県高浜町町議会議員の児玉千明さん(25))「シカ肉が好きなので、自分で獲って食べてみたい」(女優杏さん(31歳))「地域貢献の一つ」(北海道初山別村村役場勤務の吉田百花さん(23歳))「狩猟は命をいただく仕事。その意義や魅力を伝えたい」(奈良女子大大学院1年の竹村優希さん(23))と動機は様々です。目的(動機)とともに、狩猟そのものの魅力については、「自然の中を皆で駆け回って、獲物を分かち合う瞬間に幸せを感じる」(山梨県猟友会青年部の勝俣麻里加さん(25))「仕留めた瞬間が爽快」(北海道白糠町松野千紘さん(25))「撃ち損ねたシカと目が合うと、悔しさと闘志がわき起こる」(大阪府門真市の国見綾子さん(28))「たくさんのヒトの理解と動物の命をいただくことで成り立っている文化」(網・わなの狩猟免許をもつ長濱世奈さん(27))「ただの殺生と違うからこそ精神性がとても大事」(兵庫県朝来市の吉井あゆみさん)「命を頂くことで私たちは自分の命をつないでいる」(川崎市木こり系女猟師、原薫さん)「殺生を誰かがやってくれているおかげで肉を食べることができるんだと実感」(東大阪市の会社員、藤崎由美子さん(46))、、、、とさまざまな感想を述べています。

 これらの狩りガールに共通する通過点として「何故生き物を殺すのか?」という質問を必ず受けるそうです。先述の木こり系女猟の原薫さんは、初めて獲物を仕留めたときのことを「目が合いましたね。しばらく見つめ合っていましたよ。仕留めたときはうれしさ半分。あとは、ああ殺しちゃったなあって」と述べ、「今でははっきりと言えます。命に差はないと。食肉用で飼育される豚や牛と、山の中を歩き回る猪や鹿。どちらも同じ命なんです。その命を頂くことで私たちは自分の命をつないでいる」と信念を持って言えるそうです。

 先日、埼玉県越谷市の皮革工場を見学する機会に恵まれ、およそ4時間ほど皮のなめし工程から原皮製品になるまでを視察しましたが、ご案内を頂いた㈱ジュテルレザーの沼田聰会長からも「命を頂いている」「皮革製品になっても(皮は)呼吸している」というお話を頂きました。人間と動物の関係は古代から続いていますが、人間と動物の間の命のやり取りを一方的でなく双方が「命を繋ぐ」という感覚・感情を忘れてはならないでしょう。それにつけても人間同士の間こそ命の扱いの粗末さが目立ってきていることを改めて思う次第です。 

<DAIGOエコロジー村通信4月号より>