チャーチルの寓話とエコロジー村

よく聞かれます。「何故、エコロジー村は皆さん仲良くそんなに長く続いているのですか?」という疑問。エコロジー村は開村(1996年)して20年過ぎました。確かに、メンバーの入れ替えはそれぞれの事情によりありますが、古い新しいに限らず、メンバー仲良く活動をしています。長続きの要因はいろいろなことが考えられますが、「炭を焼く」という行為を通じての共有できる価値観を持っていることが大きなように思えます。
イギリスのチャーチルはいろいろな場面で寓話を使うのが上手い政治家でしたが、それぞれが自分だけの価値観に拘ることの愚かさについて次のような話をしています。
『昔々、動物園の動物たちが全員一致で暴力を放棄して平和に暮らそうと決めました。そこで、サイが「牙を使うのは野蛮なので禁止しよう。しかし、角は自分の身を守るために使うので許しても良い」と主張しました。これに牡鹿とヤマアラシは賛成しましたが、トラは「角は使うべきではない」と言い、反対に「牙やかぎ爪は賞賛されるもので、全く危険なものではない」と主張しました。すると、最後にクマが、「牙もかぎ爪も角もすべて使うべきではない」と言い、その代わりに皆の意見が一致しない時は、相手をしっかり抱きしめることにしよう」と提案しました。』
 チャーチルは、この話を軍縮キャンペーンの一環として使用しましたが、「この動物たちは皆、自分が暴力を使うのは平和と正義のためだけに限ると信じている。だが、道徳性が暴力や権威や支配の正統性を示す確固とした根拠になるのは、異なる見方や価値判断を排除した時だけである。異なる価値観を受け入れれば、そのような体制は即座に崩壊してしまう」と説明しています。
この説明はちょっとわかりにくい部分もあります。「価値観の多様性を認めること」が良いのか、それともそれは認めずに「多様な価値観」の上部に新たな共通の価値観を作るという話なのか。大きな世界政治の話ですので、チャーチルはもしかしたら国際連合のようなものを思考していたのかもしれません。(※ちなみにこの寓話は1928年のものです)
 さて、小さな世界のエコロジー村は、それぞれメンバーの持つ価値観の上に新たな価値観を作っている訳ではありません。もちろん最低限のルールはありますが、それは各人が持つ価値観とはレベルがちょっと違う話です。チャーチルの寓話に当てはめれば、メンバー(各動物)がそれぞれ自己主張を通せば、集まりは崩壊してしまうでしょう。冒頭に「炭を焼く行為を通じた共有できる価値観があるのではないか」と言いましたが、これはあくまでも私個人の意見です。確かに、エコロジー村の活動は現実的な金銭を得るための活動ではなく、とはいえ、各個人がバラバラに個人の趣味として行動している訳でもなく、とはいえ、何かの具体的な目標や目的のために一致団結して活動している訳でもありません。が、確かにこの20年を通じて、何らかの「共同」或いは「協同」「協働」という”価値”に包摂されているように感じます。自然に作り上げられたとも言えますが、小さな世界の何気ない集まりの中に、もしかしたら今世界が求めている”形(カタチ)”のヒントがあるかもしれない、などと山の中で倒した木の枝を払いながら思う春を迎えるある日の話でした。

中小企業よ、連帯せよ!

世界の先進国における中小企業の割合は、日本99.7%、米国99.9%、EU99.8%、また総雇用者数に占める従業員の割合は、日本69.0%、米国57.9%、EU(独仏英平均)57.0%となっています。このように、世界的に見ても中小企業が占める指標割合は高いのですが、何故か、メディアにおけるビジネスシーンで取り上げられるのは殆ど大企業、多国籍企業等の話題がほとんどであり、時折「頑張る中小企業!」のような申し訳程度のニュースが散見される程度です。先ほどの指標を見ても、中小企業が社会或いは国家に与える潜在的影響力は相当なものと思えるのですが、消費者も結構一方的な大企業的視点からしかモノをみていないように思えます。翻って、中小企業自身も何故か、このような潜在力があるにもかかわらず、自らを過小評価するようなところがあるのではないでしょうか。 組織論から見た時に、大企業とは単にあつかう資本や売り上げが大きいというだけでなく、組織そのものが肥大化・複雑化しており、このような組織が「順調な成長を遂げる」ということは非常に困難なことです。それにもかかわらず、相変わらず大企業は「成長」しておるということは、やはりなんらかのカラクリがあると思わざるを得ません。逆に、昨今の情報通信技術の目を見張る進展は、工夫次第でこのような従来の大企業中心経済を革命的にひっくり返すことが出来るように思えます。
 賛否両論あるトランプ大統領による「一国主義」ですが、行き過ぎたグローバル化ということはとりもなおさず、世界の1%しかない大企業・多国籍企業が富のほとんどを”持ち逃げ”している状況への叛旗であり、この流れはこれからも大きくなることはあっても消えることはないでしょう。「一国主義」を国家的視点からみるのではなく、「ローカル経済主義」という観点から見た場合、まさに中小企業こそが地に足ついた経済展開が出来るセクターです。これに加え、先述の情報通信技術の活用は、このような「ローカル経済」の鎖国的展開(保護主義)ではなく、従来の本当の意味でのグローバル的な展開、すなわち多様化した社会経済的連携につなげることが可能です。
 現実として、協同組合については、世界的な連携組織「国際協同組合同盟(ICA:本部ブリュッセル)」がありますが、このような取組が協同組合に出来て中小企業にできない絶対的な理由は無いように思えます。敢えて、大企業を外し、中小企業同士が世界的につながり、さまざまな経営的課題、そして社会的課題に至るまでオープンに討議し、協議し、連帯しあう道を模索してもらいたいものです。こじつけではありませんが、このような中小企業の力は、低炭素社会実現を目指す一つの大きな動因にもまた目的因にもなり得るものです。

【私考】革命情勢論からみたトランプ出現

トランプ出現に世界が右往左往し、軍事或いは経済という目の前の事柄に拘泥するかと思えば、片方では平和・民主主義という普遍的価値の一般観念にしがみつく抵抗運動が続いている。直近の世界史的出来事と言えば、75年前の第二次世界大戦、およそ30年前のソ連崩壊が挙げられるが、巷の70年周期説を取れば、第二次大戦後の世界基準としての「資本主義」VS「共産主義」における両者の崩壊が始まったとみることも可能だろう。「いや、いずれはトランプだって人の子、おとなしく現状に合わせるさ」という根拠なき楽観論は徐々に消えつつある中、まさに混沌(カオス)としている状況に世界は陥っている。

 さて、このような状況を私は「面白い」と言えば語弊はあるが、自らの精神或いは意識の内面に湧き起る高揚感を否定できない。一つは、余りにも自らの理解を超える現象が事実として目の前に現れた時に起る「放心」状態として捉えることもできようが、そうでもなさそうだ。いろいろ心中を模索しているうちに、今から50年近い前の心情に近いものであるように思えた。すなわち、「革命前夜」という意識だ。須賀しのぶはドイツ東西の壁崩壊をテーマにした『革命前夜』(文芸春秋)と言う本について「革命前夜の民衆の言葉が勝利をおさめた高揚感を描きたかった」と述懐しているが、彼女の高揚感は敢えて言えば理性的なものだが、私の高揚感はもっと感性的、破壊的なものだ。カントで言う「構成的理念」が須賀の高揚感の要因だとすれば、「統整的理念」が私の高揚感(の要因)と言っても良いだろう。そのような動機から、まさに「革命」としての切り口から今一度トランプ現象を考察してみようと思う。

フランス革命』(岩波文庫:柴田三千雄)によると、革命の発生条件として3つを挙げている。

 ①既存の支配体制の統合力の破綻

 ②大規模な民衆騒擾、都市や農民の民衆蜂起

 ③新しい政治集団になり得るものが存在

また、ロシア革命を指導したレーニンは、「革命的情勢到来の時期指標」として、以下のように述べている。

 「革命的情勢を切り開くには、搾取され圧迫された大衆がこれまでどおりに生活ができないということを意識して変更を要求するというだけでは不十分である。それに、搾取者(支配階級)がその支配をこれまでのような遣り方では支配を維持することができなくなる、という情勢の加味が必要である。即ち、『下層の生活危機』に加えて『上層の何らかの危機、支配階級政治の危機』が重なった時、その二重危機が被圧迫階級の不満と憤激とが突いて出る裂け目を作り出すのである。革命が爆発するには、『下層』が以前のような仕方で生活することを欲しないというだけでは十分ではない。『上層』がこれまでのようにやっていけなくなるということが、また必要なのだ。これに『大衆の独立の歴史的行動』としての革命的昂揚が絶対に必要である。この条件、この行動が結合した時にはじめて革命は勝利することができる。これが革命の法理であり、『革命は、全国民的な(被搾取者も搾取者をもまきこむ)危機なしには起こり得ない』という言葉によって表現される」

 過去のフランス革命ロシア革命と言う世界史的転換における出来事に共通している事項の一つは、「既存支配力の矛盾の露呈」ということだ。今回のトランプ出現を、支配階級における内部対立と捉える見方はあまり表面に出てこないが、一部の見識者の間でははっきりとそのことを論じている。彼らの論では、グローバリズム体制に支配の根拠を持つものとして、「ネオコン軍産複合体)」「NATO体制」或いは「新世界秩序派(NWO)」などが挙げられているが、トランプはそのような支配層に公然と反旗を翻し、新たな「秩序」を構築しようとしているという見方である。『秩序』という抽象的表現では分かりにくいだろうが、「一極覇権主義」VS「多極主義」という見方をすれば少し分かりやすいだろう。これまでの米国による一極統治ではなく、例えばロシア、中国、EUなどに統治を分散させる「多極型」ということであり、経済的観点から見れば、「グローバリズム新自由主義)」VS「ローカリズム保護主義)」ということだ。トランプが「アメリカファースト」という「1国主義」を唱えることもこれで理解できる。面白いことに、昨日(2月7日)のTV報道番組でトランプを支持する白人労働者(トラックドライバー)が「(トランプは)新世界秩序と闘っている」とインタビューにはっきりと答えていたことにはいささか驚愕した。トランプを支持する労働者階級にこのような意識があることの発見は政治的にも重要なことだ。彼らは単に自らの収入が増えること、或いは生活が安定することだけの目的でトランプを支持しているのではなく、もっと根本的な意識に目覚めている。しかし、だからと言って、トランプが労働者の味方かと言えば、そうではないだろう。生粋のビジネスマン、商売人の彼はどっぷりと資本主義に浸かっている人物であり、思考も全く資本主義そのものだ。ソ連崩壊以降、「資本主義こそ人類最後の到達点」と言ったフランシス・フクヤマの論は、残念ながら、このような形で資本主義そのものの矛盾を露呈してしまったのだ。もちろん、反トランプ派の支配層もだまってはいないだろう。現在見受けられるリベラル派も巻き込んだ「反トランプ合唱現象」は、自然発生的作用をうまく利用した意図的なものと私には見受けられる。数年前に起きた国家権力が総力挙げてキャンペーンを張った「小沢一郎」に対する攻撃と似たものを感じる。トランプとオバマを比して、「戦争を起すトランプ」「平和を希求したオバマ」というような失笑に値する言辞を吐く評論家も見受けられるが、このようにトランプへの異常な攻撃は意図的なものであり、これらはまさに支配層における権力闘争として見るべきであろう。このような見方をした時に、はじめて先述のレーニンの言葉が一つの歴史的真実として蘇るのである。すなわち、「搾取者(支配階級)がその支配をこれまでのような遣り方では支配を維持することができなくな」ってきたことであり、しかも、単に「上層」における権力闘争だけでなく、「下層」においても生活危機がますます限界へと突き進み、その「不満と憤激」が社会に「裂け目」を作ったのが、今回のトランプ現象なのである。

さて、トランプ出現への私考の取組はまだまだ緒についたばかりである。この先、トランプが、米国が、日本が、EUが、否世界がどうなるのか、誰にもわからない。しかし、トランプ出現がこれまで隠されていたもの、見えなかったものを露呈してくれたことは、歴史が、私だけでなく、政治家も、アスリートも、ホームレスも、富裕層も、貧困層も、男も女も、ありとあらゆる世界に存在する一人一人に付与した逃れられない“尋問”のような気がする。西洋の宗教ではそれを「黙示」と言い、東洋の宗教では「末法」というのかもしれないが、「新しい未来への陣痛の始まり」と捉えることも可能だ。世界の動きを何もしないで評論家としてみるのも、このようなカオスにおける対処法としては悪くはないだろう。しかし、冒頭に私は「高揚している」と言った。また「面白い」とも言った。それは、トランプ出現を感情の表層的部分、或いは薄っぺらな一般論的普遍価値で捉えるのではなく、「歴史の転換」の場面に居合わせることが出来た偶然或いは必然からまた逃れようとするのではなく、新たな「未来」を創造するという喜びに転換できるのではないか、という期待からくるものだ。そうなると、また再びレーニンの言う、「『大衆の独立の歴史的行動』としての革命的昂揚」を作り上げるにはどうすればよいか、という命題が自らの使命感として湧いてくる気がする。そこには、今の年齢からくるノスタルジアも入っているだろうが、人生の存在理由を少し見失いかけた私にはいままた老い先短い生命が躍動しそうな気がするのである。

「炭」という漢字と「灰」という漢字の違い

先日、八王子の小学校の「炭焼体験教室」を行いましたが、窯出し(出炭)で
何とほとんど炭が残っていずに、かろうじて形をとどめた”灰”寸前の”炭”が、ド ラム缶窯の底に横たわっている、という惨状でした!授業の冒頭に、炭の効能や 歴史、用途などを得意満面で講義・指導した身としては、非常に辛く(笑)恥ずか しい結果となりましたが、児童へ「炭」という漢字と「灰」という漢字の違いを 例に出して、「炭から山を取ると灰になるんだよ!」などとしたり顔で話したこ とを思い出すと、ひとりでに赤面する思いです。
 そういうことがあったからという訳ではありませんが、何故「炭(すみ)」は 「炭」と書くのだろうと、ふと考えて調べてみました。漢字・漢和辞典を調べて みると、
『会意文字です(屵+火)。「山」の象形と「削り取られた崖」の象形と「燃えた 炎」の象形から、崖から掘り出した「石炭(すみ)」を意味する「炭」という漢字 が成り立ちました。』
と記述されていました。それで、次に「灰」という漢字の由来について再度調べ ると、
『会意兼形声文字です(ナ(又)+火)。「右手」の象形(「手・右手」の意味)と 「燃え立つ炎」の象形(「火」の意味)から、手で拾う事ができる冷たい火「は い」を意味する「灰」という漢字が成り立ちました。』
と記述されていました。
 なるほど、ととりあえず納得したのですが、私としては、子ども達に説明した 「炭から山を取ると灰になる」という漢字の違いをそのまま、現実の形状(個体 の「炭」と紛体の「灰」)の違いに重ね合わせて説明したかった(したい)の で、なにかこじつけでも良いからすんなりと説明できないものか、と思い、再再 度漢和辞典で「山」の語源を調べようと思いました。すなわち、「炭」- 「山」=「灰」という簡易な数式的理解(合理的理解?)手法を”開発・発見”し たかった訳です。それで「山」の語源を調べるとこれは本当に”山ほど(32種 類)”その意味はありました。ここには全て書けませんが、「高く盛り上がった 状態」という当たり前の意味から「たくさん寄り集まっている事」「物事の頂 点・重要な部分」、そして中には「神が住む神聖な場所」という意味もあるよう です。
 さて、先ほどの数式的合理的理解に近い、「炭と灰」の漢字の違いの説明をど のようにするか、いろいろ考え悩みましたが、以下のような説明を考えました。
「炭はもともと人間の魂が宿る大地の土に根を持つ植物から、宇宙最大のエネル ギーである火を通して出来ます。そして炭を燃やすことにより人間は神が住む大 地のエネルギーを熱として頂き、その熱は人間を温め癒してくれます。大地の魂 (神)が去ったあとの贈り物が灰です。灰はまた土に戻りその土を豊かな土壌に してくれます。そして人間はまた豊かな大地から育った食物から生命の源を得る のです。」
 全然、数式的合理性どころか、情緒・感性のみの説明になりましたが、果たし て小学校の児童たちは何得してくれるでしょうか!だれか漢字の得意な方の助言 やアドバイスがあれば是非お知恵を頂きたいと思うところです。

【無機由来石油の存在とトランプ政権】

トランプ政権のティラーソン国務長官がなぜ指名されたか!については、対ロシア政策として様々な憶測が飛んでいるが、化石燃料枯渇説即ち「オイルピーク論」を覆す地球深度由来の石油である無機由来石油の存在があるという話には説得力があるように思える。石油は従来有機由来、即ち化石燃料と言う理解が一般的だが、もっと地球地底奥深い所(200k以上)に、無機の炭化水素が存在していることは科学的には1950年代から論じられていたようだ。この説によると、現在石油は出ないとされている地域からも石油採掘が可能だという。もしこの説が正しい或いは事実として認められれば、資源を巡るこれまでの議論が根底から覆されることになる。地球温暖化の議論の発端も「石油枯渇による資源不足」から始まった。この無機由来石油については、スターリン時代からソ連において深い研究がなされていたらしい。現在のロシア・プーチンがこの科学的成果を保持していることは当然考えられることだ。ティラーソンのエクソンシェブロン、シェル、BPと言う四大石油資本が、これまでの代替エネルギー論から、再度石油エネルギー主流論を構築しようとしていることは、これらを前提とすればこれまた当然考えられることだ。トランプのパリ協定離脱、対ロシアに対する友好的連携がなぜ進められるかの一つの根拠として考えることが出来る。これらの動きの背後にキッシンジャーがいることは明明白白の事実となっているが、彼の有名な言葉『 石油を支配する者は、諸国を支配する。食糧を支配する者は、人口を支配する。マネーを支配する者は全世界を支配する』を彼はいままた夢見ているのだろうか。これらが正しいとすれば、トランプの大統領就任後の矢継ぎ早の政策執行と彼の自信満々の政権運営スタイルもうなずけるものがある。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200...

『大菩薩峠』と八王子

今年は、DAIGOエコロジー村のある八王子が市制100周年を迎え、いろいろな催しが企画されています。東京オリンピックを見据えたスポーツクライミングのワールドカップも東京都では初と言うことでエコロジー村近くの総合体育館で5月に開催されるようです。知名度は全国区であるものの中味を問われるとなかなか的確なイメージを描写できない八王子ですが、目線をちょっと変えてみると意外な話題も提供してくれそうです。ご存じ中里介山の『大菩薩峠』。その36巻「新月の巻」に八王子の炭焼について記した部分があります。とりあえず介山が書いたそのままをちょっと記しましょう。
・・・・・・・・・・・・
「八王子在の炭焼はまた格別な風流でござる」
「炭焼?」
「阿呆いわずときなはれ、江戸で炭が焼けますかい」
安直兄いがたしなめると、ダニの丈次が、
「でも、八王子から出てきた炭焼だが、釜出しのいいのを安くするから買っておくんなせえと門付振売りに来たのを、わっしゃ新宿の通りでよく見受けしやしたぜ」
「ではやっぱり、江戸でも炭を焼くんだね」
「炭焼き江戸っ子!」
「道理で色が黒い!」
      ・・・・・・・・・・<略>・・・・・・
「君たち、まだ若い、そもそも武州八王子というところは、なめさんも先刻言われた通り、新刀の名人繁慶もいたし、東洲斎写楽も八王子っ子だという説があるし、また君たちにはちょっと買いきれまいが、二代目高尾と言う吉原きってのおいらんも出たし、それから君たち、いまだに車人形というものを見たことはあるめえがの------そもそも・・・・」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
とその後、八王子にまつわる人物名が、鬼小島靖堂・鎌倉権五郎影政・尾崎咢堂・塩野適斉・桑原騰庵・近藤三助・落合直文など、私も知らぬ名前が結構出て来ます。圧巻は徳富蘆花を芋虫呼ばわりしている個所です。
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「君たち、八王子八王子と安く言うが、そもそも八王子という名前の出所来歴を知るめえな。・・<略>・・そもそも八王子と言う名は法華経から来ているんだぜ。法華経のどこにどう出ているか、君たちいっぺんあれを縦から棒読みにしてみな、すぐわかることだあな。ところがものを知らねえ奴は仕方のねえもんで、近ごろ徳富蘆花という男が、芋虫のたわごとという本を書いたんだ、その本の中に、ご丁寧に八王子を八王寺、八王寺と書いている。大和の国には王寺と言うところはあるが、八王子が八王寺じゃものにならねえ、蘆花と言う男が、法華経一つ満足によんでいねえということが、これでわかる・・・・」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
介山が八王子の炭(案下炭)をこのような形で”評価”してくれたことは素直に嬉しいですね。東洲斎写楽八王子説も写楽自身が謎に富んだ人物でもあり、信憑性はともかくも話として面白いです。また花魁高尾太夫は十一代までいたようですが、二代目は仙台高尾といい、陸奥仙台藩主伊達綱宗の身請け話を「他に好きな男(間夫)がいるから」と袖にしたために惨殺された、という話があります。小説『大菩薩峠』は未完の長編で、登場人物の彷徨いをモチーフにしているという指摘もありますが、八王子と言う町は今昔、流浪の民或いは漂白民が彷徨った町ではないか、と言う気がします。こう言う私も自称彷徨人ですが、彷徨人であるプライドを捨てることなく住むことが出来る町が八王子の目に見えない魅力なのではないか、と最近よく考えます。人間の業を30年にかけて描こうとした中里介山ですが、まだ読了に及んでいない彼の『大菩薩峠』を今年は一年かけて読んでみたいと思います。

トランプ大統領就任演説考

トランプ就任演説はリアルタイムに、NHKの同時中継番組、同時通訳を聞いたが、通訳者のレベルの問題なのか、或いは事前のバイアス統制があったのか、なかなか要領を得ない浅薄な通訳だった。その後、各方面から就任演説全文が書き下ろされたが、それを読むと、今回のトランプ大統領就任の歴史的な意義を感じざるを得ない。ドナルド・トランプという人物自体の評価は、残念ながら彼に対する知識、或いは彼自身の手腕というものをまだ実際に見たことが無い為、想像するしかないが、彼のような人物がこの時点の歴史において登場した、という観点と意味から彼の就任演説を読解すると、やはり大きな歴史の転回というものが見えて来る。また、そこから、トランプという個人評価も逆照射出来うるのではないか、と思う。演説全文から気になる点を箇条書きにして、私なりの評価をしてみた。

★従来の大統領なら誰でも就任する先のワシントンD.C.こそが、彼の権力の拠り所となる象徴であり且つアメリカ支配の頂点であるが、それを国民と対比させ、しかも「権力」の移行を行うことを宣言した。これは米国史上初めてのことではないだろうか。いわば、“クーデター政権”と言っても良いのではないか。

  • 「ワシントンにいる一部の人たちだけが政府から利益や恩恵を受けてきた。」

★一部の者とはEUも含め、いわゆる富を独占するエスタブリッシュメントのことを指すと思われる。「トランプ自身もその一員ではないか!」という反論もあるようだが、表層的な資産だけ見るのではなく、世界経済支配構造の核心領域に位置しているかどうかで判断すべきだろう。少なくともトランプは“外れ”或いは“異端”であるのは間違いないだろう。

  • 「ワシントンは繁栄したが、国民はその富を共有できなかった。」
  • 「権力層は自分たちを守ったが、アメリカ市民を守らなかった。」
  • 「アメリカ全土で苦しんでいる家族への祝福は、ほとんどなかった。」

★これらの発言は、エスタブリッシュメント権力による現実的な弊害として、国民或いは市民、家族という比喩的概念で訴えた発言だが、「あなた方の現実がこんなにも苦しい原因は一部の支配者のお蔭だ!」ということだろう。

  • 「本当に大切なことは政府が国民により統治されることである」
  • 「2017年1月20日は、国民がこの国を治める日として、これからずっと記憶に刻まれる」
  • 「国は国民に奉仕するために存在している」

★この発言を根拠に、青山学院准教授の米山明日香は、某報道番組でケネディ演説と対比させて「大統領就任演説史上最低」「教養がない」と酷評したが、彼女は「国民の国家に対する責任」を強調し、それを米国民主主義の根幹と言っているのだが、トランプの発言は、「政府(ガバメント)は国民(ネイション)が統治するものである」という主旨であり、「国は国民に奉仕するために存在」であるという部分は、日本国憲法15条の国家公務員条項の理念と被るものだろう。ちなみに、米山の言う「国民の国家に対する責任」とは、安倍晋三が目論む改憲の要諦でもある。このような観点からも、このトランプ発言は私は納得できるものである。

  • 「母親と子供は都市部で貧困に苦しみ、工場は錆びき、アメリカ中に墓石のごとく散らばり、教育は高額で、若く輝かしい生徒たちは、知識を習得できていない。犯罪、ギャング、麻薬があまりにも多くの命を奪い、花開くことのない可能性をこの国から奪っている。」

★中間層或いは底辺層の状況をこれほど具体的な表現で現した大統領演説はなかったのではないか。ちなみに名演説のオバマは就任時「家を失い、仕事は減り、商売は行き詰まった。医療費は高過ぎ、学校制度は失敗している。」という抽象的センテンスしか言ってない。人間が崇高な表現に酔うことも事実だが、現実のありのままの表現に共感することも亦事実だ。

  • 「何十年もの間、私たちはアメリカの産業を犠牲にし、外国の産業を豊かにしてきた。」
  • 「他の国々を豊かにしたが、自国の富、力、自信は、地平線のかなたへ消えた。ひとつずつ、工場が閉鎖され、この国を去った。数百万人のアメリカ人労働者が置き去りになることなど考えもしないで、そうした。」
  • 「中間層の富が、その家庭から奪われ、世界中に再分配された」

★これまで「善的行為」という神学的見地からのアメリカの対外政策の間違いを批判した発言として捉えることができる。「アメリカもそのことで利益を十分得ているのではないか!」という反論を考慮したうえで、そのような反論には「ではその利益は一体どこへ行ったのだ?」という再問いかけの答えが「ワシントンにいる一部の人たちだけが政府から利益や恩恵を受けてきた。」であり「ワシントンは繁栄したが、国民はその富を共有できなかった。」だ。

  • 「私たちは今日、ここに集まり、新しい決意を発し、すべての街、すべての外国の首都、すべての政権にそれを響かせる」
  • 「今日、この日から、アメリカ第一のみになる。アメリカ第一だ。」
  • 「貿易、税金、移民、外交についてのすべての決定は、アメリカの労働者と家族の利益のために下される。」
  • 「他国の暴挙から国境を守らなければなりません。彼らは私たちの商品を生産し、私たちの会社を盗み、私たちの仕事を破壊している。」
  • 「保護こそが偉大な繁栄と力に繋がる」

★まさにトランプ就任演説の核心=キモの部分だろう。これまでのエスタブリッッシュメントに支配されていた層への具体的なアピールだ。「保護主義」「モンロー主義」の宣言と見ても良い。演説の最初に「権力の移行」を宣誓し、その後にその対象としての国民の今ある現状を具体的に述べ、そしてここで檄を飛ばす、という三段論法は、なかなか良く練られた演説である事をうかがわせる。「保護は戦争を招く」という一般論となったことを逆転させ、「保護こそ繁栄(を招く)」と述べたことは重要だ。

  • 生活保護を受けている人たちに仕事を与え、アメリカの労働者の手と力で国を再建する」

★原文「worker」だが、アメリカでは「ワーカーとレイバー」を区別するので、トランプの頭の中にいわゆる左翼的言辞としての「労働者階級」の意識はないだろう。しかし、「働くものの力で国を再建する」という表現は、少なくとも戦後、冷戦を経て資本主義が唯一の社会経済システムとなっり、その先導者でもあった米国において、このような転換が起こるとすれば、それはやはり「革命的」と言わざるを得ない。

  • 「私たちは2つの単純なルールに従う。アメリカ製の商品を買い、アメリカ人を雇うことだ。」

★「保護主義」の具体的な表現を分かりやすく説明したものだ。鎖国保護主義は別のものであり、要は経済成長或いは維持の基本的な力点を外に求めるか(外需)、内に求めるか(内需)の違いである。そういう意味では「保護主義のほうが内需を拡大し経済が成長するので、逆に輸入が増える。」(中野剛志:対談集「グローバル恐慌の真相」)という経済的主張もある。「保護主義」が戦争を招いた大きな要因に、「情報(の無さ)」があると思われる。しかし、インターネットと言う歴史的革命的コミュニケーション技術の進展は、単純に「保護=戦争」という観念を破壊するだろう。各国が、少なくとも先進国において内需主導型へ移行し、且つICT技術の駆使により、保護主義の弊害を消去させることは可能に思える。

  • 「すべての国には自国の利益を優先させる権利があることを理解する」

★トランプをヒットラー再来とする主張もあるが、この言辞を読む限り、その心配はないように思える。この言説の後には多分、「だから貴方たちも自分の国のことは自分でやれ」という意味も含まれるのだろう。

  • 「私たちは自分たちの生き方をすべての人に押し付けることはしないが、模範として輝やかせたいと思っている。」

★ここにアメリカのプライドを語っている。

  • 「私たちは古い同盟関係を強化し、新たなものを形づくる」

★ここは、なかなか深読みが出来ない個所だ。わが属国政府はこの言辞に胸をなでおろすかも知れないが、「新たなもの」の意味をどうとらえるのだろうか。

  • イスラム過激派のテロに対し世界を結束させ、地球上から完全に根絶させる。」

★深読みする評論家の中には、「軍産複合体とISは裏でつながっており、それをCIAが手助けしていることに対するトランプ側からの宣戦布告」(国際政治評論家:田中宇氏)と見る向きもある。私はそこまではわからないが、ロシア・プーチンとの関係が今後どのように進展するかをみれば、それなりに見えて来るだろう。

  • 「私たちの政治の基盤は、アメリカ合衆国への完全な忠誠心だ。」
  • 「私たちは隠さずに思っていることを語り、相違について討論するが、いつも団結を求めなければならない。」
  • 「国家は努力してこそ存続する。口ばかりで行動が伴わない政治家をこれ以上受け入れることはできない。」
  • 「意味のないお喋りは終わりを迎える時だ。今、行動の時が来ている。それはできない、と言うのはやめよう。どんな課題も、心を開き、戦い、アメリカの精神を持てば、乗り越えられる。」

★とにかく選挙中から「行動」を訴えてきたトランプだが、演説の締めくくりでこれまでのエスタブリッシュメント支配を再度批判し、自らの政権の基本的在り方を「行動」と位置付けており、トランプの本気度が伺えるところだ。

  • 「私たちは、新しい時代の誕生に立ち会っている。」

★トランプ自身が歴史認識上でこのような発言をしたかどうかはわからないが、これまでの言辞から見て、素直に納得せざるを得ない個所だろう。

  • 「黒い肌、褐色の肌、白い肌、誰であろうと、同じ愛国心の赤い血が流れている。」
  • 「私たちは同じ輝かしい自由を享受している。」
  • 「子供がデトロイトの都市部で生まれようと、ネブラスカの風の吹く平原で生まれようと、同じ夜空を見上げ、同じ夢を心に抱き、同じ全知全能の創造主によって生命の息吹が吹き込まれる。」
  • 「皆さんは再び無視されることは決してない。皆さんの声、希望、夢が、アメリカの歩む道を決める」

★最後は、融和と団結という従来の就任演説に見られる言辞が続いたが、ここでも「再び無視されることは決してない」という檄と決意が述べられる。トランプ支持派は感極まり、涙も出るところだろう。

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さて、長々と、独自の勝手なトランプ就任演説分析を行って来たが、演説後の彼の素早い行動とその内容から見ても、世界は本当に大きく変わるだろうと思える。先日の報道ステーションで三浦瑠璃はトランプをマーケッターという観点から「もしかしたらアメリカ一人勝ちもあり得る」と言ったが、しかし、その一人勝ちがどこまで継続するか、単なる瞬間的状況に終わるのか、それはわからないがあながちあり得ないことではないと思える。

いずれにせよ、「今後どうなるのだろうか」と言う予測屋的立場からは何も生まれないということだ。「これからはこうする」というまさに主体的態度をコアとする、言い換えればトランプの言う「意味のないお喋りは終わりを迎える時だ。今、行動の時が来ている。」ということだろう。

※演説全文参考:ハフィンポスト日本版『 トランプ大統領就任演説「今日、この日から、アメリカ第一のみ」』より